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BURRN!2010年7月号 LAメタルの真実 ジェイク・E・リー パート1

 BURRN!2010年7月号では、Warren DeMartiniをはじめとして、複数のギタリストなどにインタビューが行われ、「LAメタルの真実」という特集が組まれています。

Burrn_2010_7

 そこで、本人からの直接のインタビューはないのですが、何人かが、ジェイクについて、言及しているので、それを紹介します。

 まずは、長文になるのですが、Warren DeMartiniのインタビューからジェイクネタを中心に抜粋します。彼以外にも2名がジェイクについて話しているのですが、それはパート2として、次回、紹介したいと思います。

La

インタビュアー「ところで、あたなにRATTに入るように勧めたのはジェイク・E・リーだったそうですね? 2人ともサンディエゴ出身で、ルームメイトだったと聞いた気がします。」

ウォーレン(以下Wとする)「いや、、ルームメイトではなかったんだ。RATTでプレイしていたジェイクが別のバンドに移ることになったんで、短期間だけ同居人になったけどね。つまり、彼はRATTへの好意として、良い脱退の仕方にしたかったから、土曜日に脱退を決めて、翌週の金曜日には次のショウを控えていたから、RATTは6日間で新しいギター・プレイヤーを迎えてステージに出なくてはいけなかった。実を言うと、その時はRATTのメンバーがスティーヴン(パーシー)を追い出そうとしていたんだけど、RATTという名前はスティーブンが持っていたから、スティーブン以外のメンバーが全員辞めて、別のバンドを結成したんだ。」

インタビュアー「それがROUGH CUTTというバンドですね。」

W「そのとおり。」

インタビュアー「ジェイクは、ROUGH CUTTの後、OZZY OSBOURNE BANDに入り、それと同じ時期にRATTもビッグになったんでしたね。」

W「うん。短い間だったけど、同じ部屋にいさせてくれたのはジェイクの好意だったし、今思うと、あれはとてもクールな時期だったよ。あの時は2人とも本当に遅くまで起きていて、床に座ってカウチにもたれながら、「THE ANDY GRIFFITH SHOW」の再放送をテレビで観ていたりした。そして僕は"Round And Round"のコードになるものを少しずつ弾いて、彼は"Bark At The Moon"になるコードを考えていたよ。その時は、それが自分たちをどこへ連れていくかなんて、全く知らないままにね。あの時点では、あれを聴いたのは僕たち2人だけだった。確実に成長し始めていたけど、どこまで行くのかはまるで全く判らなかった。ただ、「おい、今のクールだな、どうやったんだ?」「それ、凄いな」なんて言いあって、互いを応援していたんだ。僕たちはまだ何者でもなかったけど、同時に、大きな動きが始まりかけた時期でもあったな。その時は自分たちでは気付いていなかったけどね。

 ランディ(ローズ)が亡くなったと僕に知らせたのもジェイクだったよ。彼に起こされたんだ。僕たちは、寝室が3つの小さな家に住んでいて、当時、部屋はどれも使われていたから、僕はカウチで寝ていた。突然ジェイクが僕を起こして、「ランディ・ローズが亡くなったと思う」と言ったのを、憶えているよ。僕は、「冗談だろ?」って感じだったよ。エイプリル・フールか何かだろう?って。でもラジオをつけてみたら、ランディが本当に亡くなったことが確かになった。

インタビュアー「1982年でしたね」

W「1982年の初めだ。僕がLAに引っ越してきたのが12月の終わりか、1月だったと思う。寒かったのを覚えている。皮肉なことに、ランディに起こったことを僕に教えてくれたのはジェイクだった。そして、その後、電話が鳴り始めて、とてもよく覚えているんだけど、サウスベイに住んでいた別のギタリストから電話を終えて受話器を置いた時、ジェイクがこう言ったんだ。「信じられるか? こいつは、ランディの後任のオーディションが受けられるかもしれないなんて興奮していやがるんだ!」とね。2人で憤慨したよ。どういう気持ちだったか、判るだろう? 僕たちにとってはとんでもない話でしかなかったのに、それをチャンスと思うヤツがいるなんてね。」

~中略(ウォーレンのバンドTHE PLAGUEの話)~

W「……ジェイク・E・リーは、サンディエゴでは完全に週末のヘッドライナーを務める存在だった。VAN HALENがハリウッドの「Gazzarri's」や「Whisky」でやっていたようなことを地元でやっていたよ。ジェイクのバンドのTEASERは、サンディエゴの「Straita Head Sound」を毎週末、金曜日と土曜日の夜に満杯にしていた。MICKY RATTも時々プレイしていたし、ロビン・クロスビーのバンドのPHENOMENONもプレイしたけど、ジェイクはあの地域に住んでいたから、ゆるぎない地位を獲得していたんだ。

 MICKY RATTも、地元の別の地域、ロビンと僕が住んでいた地域では、TESERと同じくらい聴衆を集めていたね。だから、2つのバンドの間には、間違いなく競争意識があったけど、誰もが友達だったし、今でも全員友達同士だよ。ジェイクとは、つい最近ラスヴェガスで会ったばかりで、一晩中、あの頃のことを語り合ったよ! 彼と何年も何年も会っていなかったなんて驚きだけど、とてもクールな再開になった。」

インタビュアー「あなたが彼に会ったと聞いてうれしいです。彼は、この15年間、完全にレーダーから消えてしまっていますから。」

W「うん、確かにそうだった。彼が戻ってきて、僕もうれしいよ。ラスヴェガスで客席にいる彼を見て、とてもクールなルックスだったんで驚いたよ。下顎にちょっと髭を生やして、ステッキを持って、途中までの丈のダーク・レザーのロング・ジャケットを着て、袖も長くて、とにかく格好良かった!そして、僕が彼を見ているのに気付いて、立っていた場所から移動した(笑)。

その後、彼の姿は見えなくなったけど、僕が彼をステージに上げようとしていることは、知っていたんだ。3曲やる度に、「ジェイク・E・リーがそこにいる。ジェイク、こっちに上がってこないか」と客席に向かって僕がアナウンスしたからね。(笑)そのショウの前にもちょっと話はしていて、EPの曲もいくるかやるから、よかったらステージに上がってジャムろうと言っておいたんだ。25年前に教えてくれた曲を、そっくりそのままプレイしているからった。彼は、「ああ、もしかしたら」と言っていたよ。だから僕は人を送り込んでまで彼を探してもらったけど、彼は逃げ回っていて、とうとうステージには上がらずじまいさ」

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次回は、GEORGE LYNCHとSTEPHEN PEARCYのインタビューを掲載します。

しかし、ジェイクがステッキ? なぜに??

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コメント

どもども!
 
ありがとうございます~!
 
なかなか興味深い内容ですね~
 
1年後ぐらいにランディの後釜にジェイクが・・・・ 
 
う~ん・・・
 
続きを楽しみにしております。
 
DEMOは是非聞いて下さい!!
 
DANCING ON THE EDGEはRECKLESS CHILD と言うタイトルで歌詞・メロディが全く違い、私はDEMO.Verの方が好きです(笑)
 
 
しかし、ステッキ????(笑)

投稿: Masa | 2011年3月 7日 (月) 23時52分

Masaさん、こんばんは。

コメントありがとうございます。

デモ情報、ありがとうございます。

ジェイクは確か、去年(2010年)交通事故か何かそういうことがあったらしいので、事故の時怪我をしたのかもしれませんね。

投稿: 管理人 | 2011年3月 8日 (火) 23時52分

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