« 2015年6月 | トップページ | 2015年8月 »

2015年7月

書籍「LAメタルの真実3」を購入しました

 以前からBURRN!でお知らせのありました「LAメタルの真実 3」を購入しました。

La_metal1

 今回、掲載されているインタビューは下記のとおりです。

La_metal2



ラットの人たちが掲載されている、ということはジェイクにも触れている箇所があるはず!!ということで、さっそく読んでみました。

ジェイクについては、下記の箇所に記載されています。

・スティーヴン・パーシー・・・76頁

・ジョー・フロイド・・・198頁

・ダグ・アルドリッチ・・・276、291、295頁  です。

この本の、前半は、ラットのバンド名の権利についての話が多くて、ラットファンには興味深い内容だと思うのですが、ウォーレンについても、あまりいいようにインタビューで言われていない状況です。

今回の巻でジェイクについて一番触れているのは、ダグでした。

一部抜粋です。

「……最初に僕が観たバンドの中で本当にクールだと思ったのが、ジェイク・E・リーがいたラットだった。ロビン・クロスビーとはギグの日に会ったけど、彼はまだ、あのバンドに入っていなかったんだ。

ジェイクとスティーヴン(パーシー)、それからフォアン・クルーシェがいた時だったと思う。名前をラットに変えたばかりの頃で、ボビー(ブロッツァー)もウォーレン(デ・マルティーニ)も、まだ入ってなかった。ジェイクは本当にクールで、素晴らしいプレイをしたよ。彼にも言ったんだ。素晴らしかった……」

と、まあ、こんな感じです。ご興味のある方は是非、購入を・・・と言っても、結構高いんですよね。(笑) 二千円です。

| | コメント (14) | トラックバック (0)

書籍「20世紀 ギタリスト伝説」について   パート3 ジェイクについて

  書籍20世紀 ギタリスト伝説」について のパート3です。

  ジェイクがオジーのバンドをやめた後についてが、下記の記事です。

------------------------------------------------------

リーがバッドランズ(ブラック・サバスで一時的にヴォーカルを務めレイ・ギランも参加した短命に終わったバンド)の結成に着手していた頃、オジーはもう一度新ギタリストを求めて召集をかけた。この頃になると次第にオジーと組むことは、一流のギタリストとして認められることを意味し、またプロのギタリストとして手っ取り早い名声とある程度の富と成功とが保証されることという認識がほぼ定着するようになっていた。それは言うなれば、その年最大の注目映画で準主役を張るようなものであり、だからこそ、何百人というギタリスト達が、オジーの元に自分のデモテープを送り、彼からの電話がかかってくることをひたすら祈ったのである。

こうした中からオジーの頭をタテに振らせたのは、ニュージャージー出身の19歳、ザック・ワイルドであった。根っからのハードコアーなブラック・サバス・ファンであるワイルドは、元々、オジーのレパートリーにはかなり詳しかった。彼はまたオジーと共に、オジー同様、騒々しくハチャメチャなお楽しみが好きで、オジーはそこを見込んだのである。ワイルドをラインナップに加えたオジーは1988年に『ノー・レスト・フォー・ザ・ウィックド』をレコーディングするが、このアルバムは、さらにオジーのダークなメタルのツールの奥深くへ分け入るような作品になった。ワイルドはフラッシーなプレイも十分こなせる力を持っているが、曲はかつてのジェイク・E・リーの頃よりもさらに葬送歌のような要素が強くなり、トニー・アイオミのスタイルを彷彿させるような感があった。

オジーは世界中でスタジアム・コンサートをソールド・アウトし続け、満を持して1991年にそのソロ・キャリアの中で最も強力かつ最も人気を博したアルバムとなる『ノー・モア・ティアーズ』をリリースする。このアルバムには、ラジオでのヒットとなった"Mama, I'm Coming Home"が収録されている。

『ノー・モア・ティアーズ』ツアーを終えた後、オジーはツアーから引退すること、今後はレコーディングも行わないかもしれない、という声明を発表する。これはワイルドにとっては職を失うということを意味していた。しかしながら彼はオジーと活動を共にしたことで、音楽市場においてそれなりに価値のある商品となっており、彼はソロで、ゲフィン・レコードと契約を取り付ける。ワイルドはニュージャージー出身でありながら、どこか南部のレッドネック(訳注:南部の無教養で貧乏は白人労働者達の総称。肉体労働で陽に焼けた赤銅色の首が原義)のイメージがあった。彼が結成したプライド&グローリーは、専らレイなーど・スキナードやアウトローズ、ブラックフットといったサザン・ロック・バンドの影響を感じさせるへヴィ・ロックをプレイしていた。

ワイルドはまた、このバンドでリード・ヴォーカルも務めたが、それはある程度の成功を収めている自尊心のあるメタル・ギタリストであればまず挑戦しないことであった。だが、彼は非常に良い声を持っており、それが彼のメタル志向と相まって、プライド・アンド・グローリーをハードなキックを備えた実に痛快なロックン・ロール・バンドに仕立てていたのである。

ザックがプライド・アンド・グローリーのデビュー・アルバムのレコーディングにいそしんでいる間に、オジーは引退宣言を撤回することを決めていた(この決断には殆ど誰も驚かなかった)。オジーはザックに新作のうち何曲かに参加してくれるよう要請し、実施ザックはプレイしたのだが、彼はすでに自分自身のバンドにすっかりのめり込んでいた。そこでオジーは、その時点で与えられた選択肢の中で最高の雇われギタリスト- スティーヴ・ヴァイ -に声をかけた。

このペアは相当な数の曲を録音したのだが、オジーのレコード会社は最終的にリリースを拒否する。確かに相当なミスマッチではあった:ヴァイはスピリチュアルなアーティストとしてつと知られているギタリストであり、その彼とオジーの悪い冗談のような悪魔崇拝とのパートナーシップはいかにも受け手を困惑させるものだった。というわけで、このプロジェクトを完成させるためにワイルドが呼び戻され、曲によってはヴァイのプレイしたギター・トラックを丸ごと差し替えるに至った。こうして完成したアルバム『OZZMOSIS』は1995年にリリースされ、オジーはその後、新ギタリストのジョー・ホルムとともにツアーに出た。

オジーは昔から常に、優秀なソングライターであると同時に傑出した才能を持ったギタリストを目ざとく見つけ、自分のパートナーにする傾向があった。選ばれたギタリスト達はほぞ例外なく、正しい時期に正しく選択されたギタリストであったことを証明しており(トーメとギルスは除くが)、彼らのオジーとの活動は、彼らのキャリアの中でも最高の頂点であることも決して少なくないのである。

----------------------------------------------

以上です。

スティーブ・ヴァイとの話は、以前(このブログではご紹介していないのですが)BURRN!のオジーへのインタビュー記事で読んだことがあったのですが、その記事ではオジーはスティーヴ・ヴァイのことを絶賛してました。ただ、インタビュー中、何度も「・・・でも、シャロンが・・・」というセリフが出ていたので、シャロンの反対でうまくいかなかったのかなっと思ってました。

でも、個人的には、このスティーヴ・ヴァイとのアルバムを聴いてみたかったです。

| | コメント (11) | トラックバック (0)

書籍「20世紀 ギタリスト伝説」について   パート2 ジェイクについて

 皆様、こんばんは。今日は、前回ご紹介しました書籍「20世紀 ギタリスト伝説」の中から、186~187ページに掲載されています、ジェイク・E・リーについての記事をご紹介します。

Photo_5

 なお、ジェイクの画像は掲載されてません。まったくの文字情報のみです。

紹介文にはランディ・ローズ~等々~ジェイク~ザック~スティーヴ・ヴァイについてまでが語られています。

 本文を入力しだすと、予想以上に記事が長いことがわかりましたため、途中でパート3に以降します(おいおい 汗)

-----------------------------------------

オジーの右腕達

ジェイク・E・リー(本名 ジェイキー・ルー・ウィリアムス)

生:1960年、ヴァージニア州

G:ストラト・スタイル・ソリッドボディ、ギブソンSG

ザック・ワイルド

生:1967年1月14日、ニュージャージー州

G:ギブソン・レスポール

オジー・オズボーンのソロ・アーティストとしてのキャリアは『血塗られた英雄伝説』と『ダイアリー・オブ・マッドマン』のリリースで軌道に乗り、この結果として彼はブラック・サバスの元ヴォーカリストという周囲の認識からいち早くあざやかな脱却を遂げることに成功した。その功績は多分にギタリストであるランディ・ローズの素晴らしいテクニックと作曲能力によるところが大きい。彼の熱狂的なギター・ファンがオジーのファン層に引き入れられたのである。しかし1982年3月、飛行機事故によるランディの死で、オジーはブラック・サバス以降の人気を維持する上で不可欠だったリード・ギタリストを失うことになってしまったのである。

ローズが亡くなったのはバンドのツアー中であり、オジーはこのツアーを完遂するために公認のギタリストを雇う必要に迫られていた。これだけ急な募集では応募してくるプロのギタリストは殆どいなかったが、それでもオジーはその中から何とかイアン・ギランのバンド、ギランに在籍したこともある幾分内気なギタリスト、バニー・トーメという適格者を見出した。トーメはバンドのほぼ全てのレパートリーを10日間で覚え、すぐにオジーとのツアーに参加する。だが、ストレスと衆人環視の日常、そして何よりオジーのまとう狂気と紙一重の雰囲気に耐え切れず、ツアー合流後わずか3週間でバンドを去り、その後の消息は遥として知られることはなかった。

トーメを当座のギタリストに据えてツアーを続けながら、それと並行してオジーはフルタイムでランディの後任となるギタリストを求めてオーディションを続けていた。その要求を満たすギタリストの1人としてブラッド・ギルスの名前が挙げられたが、ギルスの方はむしろトーメのように一時的にツアーに参加することに興味を示していた。ギルスは当時、ちょうど自分のバンドであるナイト・レンジャーのレコーディングを始めたばかりで、オジーとの共演によって知名度が上がれば、後々自分のキャリアにも何らかのプラスになるかもしれないと考えたのである。

かくてトーメがバンドを去ると、入れ替わりにギルスがあくまで一時雇いであるという両者の合意の下にバンドに加入する。殆ど無名のギタリストとの契約としては特異なものであったが、オジーにとってもギルスにとってもそれは好都合だったようで、ギルスをギタリストに迎えたツアーはそのまま続行される。だが、演奏されたセットはブラック・サバスの曲に偏っており、それはローズの突然の死とどのように折り合いをつければ良いのか分らずにいるオジーの心の動揺の表れだった。このツアーからはライヴ・アルバム『悪魔の囁き』がリリースされるが、1982年に発表されたこのアルバムに収録されていたのは、ブラック・サバス時代の曲ばかりで、しかもギルスのプレイはイマジネーション豊かとは言い難く、辛うじて及第点をクリアする程度のものでしかなかった。しかもオズボーンのかつての同僚であったブラック・サバスのメンバー達が、ロニー・ジェイムズ・ディオをヴォーカルに迎えてライヴ・アルバムをリリースした時期とも重なったため、批評家達はオジーの行為を彼らに対する真っ向からの侮辱と非難した。このアルバムのリリースと共にギルスはナイト・レンジャーに戻り、オジーの新たなギタリスト探しが再開されることになる。

ロサンジェルスで一斉募集がかかると、大勢のギタリスト及びギタリスト志願者達がどこからともなくわらわらと現れたが、オジーは最終的に日本人とのハーフのフラッシーなギタリスト、ジェイキー・ルー・ウィリアウムスに白羽の矢を立てる。ジェイク・E・リーという名前で通っていた彼は、それまで自分の売り物のギターの腕を武器にサンセット・ストリップを渡り歩いていた、ロサンジェルスには掃いて捨てるほどいるギタリストの1人であり、ラフ・カットやラット、ロニー・ジェイムズ・ディオのバンドその他、南カリフォルニアを拠点としていたバンドを転々とした経験を持っていた。リーのプレイは驚愕するほど速い上にルックスも申し分なく、ステージでのアクションも心得ていた。ローズほどの多彩なスタイルを備えているわけではなかったが、彼は間違いなく聴く人の心に残るへヴィ・メタル・チェーンを書く才能を持っており、売り物のアクロバティックなプレイにとどまらない演奏を聴かせた。

リーがオジーのバンドに参加して初めてのアルバム『月に吠える』(1983年)は、『ダイアリー・オブ・マッドマン』以降中絶していたオジーのキャリアの突破口となる(オジー自身、『悪魔の囁き』は単に契約上の義務を果たすために制作されたアルバムに過ぎず、気に入らなかったと発言しており、セールスの方も鳴かず飛ばずだった)。それ以前の作品のネオ・クラシカルで凝った造りのサウンドとは異なるものの、『月に吠える』では特に"反逆のロックん・ロール"や"暗闇の帝王"、そしてタイトル・トラックで聴けるように、よりメタルっぽいパンチが加えられている。続くアルバム『罪と罰』(1986年発売)ではサウンドはさらにへヴィになり、初期のブラック・サバスを彷彿とさせる。またこのアルバムでは、リーが数年こなしてきたオジーとのツアーや彼の仕事の軽軽によってようやく本領を発揮している様子が分る。

しかし、80年代中期のオジーは、リハビリの為に病院を出たり入ったりという非常に危うい状態で、1980年以降、何かと言えばバンドのメンバーを手当たり次第にクビにする(あるいは彼ら自身が狼狽してバンドを去る)という状況が続いていた。プレスの前ではお互いに対する思いやりにあふれた温かいコメントに終始していたものの、オジーとジェイクは、結局足並みが揃うことはなかった。『罪と罰』ツアーの後、もっと自分自身のキャリアを自らの手でコントロールし、さらにもっとブルースよりのロックン・ロールをプレイしたいと明言したリーは、そのままオジーのバンドを去った。

--------------------------------------------------

| | コメント (0) | トラックバック (0)

書籍「20世紀 ギタリスト伝説」について   パート1

 以前、MIKI楽器の展示会のような創業祭(190年)について、このブログでご紹介させていただきました。そのときに、書籍の販売も行われていました。ちょっと古めの本は半額ぐらいの値段で売られてまして、その時に購入したのが、

シンコー・ミュージック・ムック

ピート・ブラウン&HPニュークイスト著「20世紀 ギタリスト伝説」サブタイトル 「シーンを飾った伝説のギタリスト達を満載! 掲載アーティスト300人以上」、という本です。

Photo

題名がそのものずばり20世紀~なので、序章が「ブルースとカントリーの名匠達」で、最終章が「ロック・ギターの未来」という、ギタリストの教科書のような本です。

出版は2000年6月なので、最近出てきたギタリストは掲載されていません。

2

31

3

ジェイクについては、写真等の画像はないのですが、紹介文がありましたので(これが結構、長いのですが、興味深い紹介文なので、全文を次回、ご紹介させていただきます。

この本のはじめの方には、いくつかアルバムが紹介されています。

一部を掲載させていただきますね。

いわずとしれた、アル・ディ・ミオラ

Photo_2

 ザックが彼の曲で練習をしていたとインタビュー記事で読んだときは、意外でもあり、うれしく感じました。

Photo_3


いわずとしれた、イングヴェイ御大。紹介文を読んで、失礼ながら2000年に出版されたこの本の時点で、もうこんなことを書かれていたのか、と思いました。

ご紹介しますと(上の画像の右側の部分)

「この若きスウェーデン人のギタリストはメタルのフォーマットにオルタネイト・ピッキングとスィーブ・ピッキング・テクニックを駆使した苛烈なネオクラシカル・スタイルを導入した。ひとつの決まりきったスタイルから脱却できないという欠点のため、彼のキャリアはやがて過去のものになっていくが、この僅かな一瞬、彼は間違いなく世界中で一番スリリングなギタリストであった」

 僅かな一瞬・・・・・う~ん。た、確かにそうかも・・・。

Photo_4






スティーヴ・ヴァイです。私もこのアルバムは大好きです。

では、次回はジェイクについての記事をご紹介しますね。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2015年6月 | トップページ | 2015年8月 »